その優しく美しき音楽に、シューベルトのゆかしさ謙虚さが反映せずにはいない。

能登地震、日航機衝突事故。メディアがあまり騒がないのは。旋律の泉シューベルト〜シューベルトは彼自身世界一と自任しない唯一の作曲家であった

音楽を口にする者で、「未完成交響曲」や「冬の旅」の美しさを知らないものがあろうか。
それは小むずかしい理屈でね上げた音楽ではない。
初夏の薫風くんぷうに歌う鳥のように、心からき出ずる旋律を、すばらしい天才で処置し、五線紙に留めて百千年の後にのこした人類への恩恵そのものだったのである。
「未完成交響曲」を作り、「菩提樹ぼだいじゅ」を作り、「ますの五重奏曲」を作り、「アヴェ・マリア」や「魔王」を作った、フランツ・シューベルトこそは、いつの世にも我らの身近に生きつつある、万人の心の友であったと言って、なんの誇張があろう。
19世紀のロシアの大ピアニストにして、旋毛曲つむじまがりのルービンシュタインは、シューベルトの「白鳥の歌」の一つなる「いこいの地」を聴いてこう言った。
「もう一度、いや千度でも(その歌を繰り返してくれ)。バッハ、ベートーヴェンと共に、シューベルトこそは、まことにドイツ音楽の三大巨峰である」と。
この言葉には少しの誇張もない。我らの精神生活に食い込んで、あしたゆうべに、きよらかな慰藉いしゃと感激とをもたらす音楽は、シューベルトをもって第一とすることはおそらく何人も異論のないところであろう。
シューベルトの音楽にはバッハの儀容も、ベートーヴェンの威厳もなく、モーツァルトの絢爛けんらんさもブラームスの端正さもないが、なつかしさと優しさと、み出る愛情と輝く美しさは、人間に音楽あって以来、かつて例を見ざるたぐいのものである。これを人文史上のオアシスと言うもよく、芸術の中の芸術と見るもまたさまたげない。
シューベルトこそはまことに人間の母の生んだもののうち、最もよき魂であり、百世変ることなき、人類の友であると言えるだろう。

シューベルトは「彼自身世界一と自任しない唯一の作曲家であった」と言われている。彼は自分の天才を少しも知らなかったほどの謙遜な魂の持主で、たまたまその歌がやんやと言われると、「それは歌い手のフォーグルがうまいせいだ」と信じていた。現にその日記に「その喝采かっさいの大部分はゲーテの詩のためであろう」と書いているほどである。人に示すために書くのでない日記にまでも、シューベルトのゆかしさ謙虚さがこう反映せずにはいない。これを「俺は百年に一度生まれる天才」と信じて疑わなかったモーツァルトに比べて、なんという大きな性格の違いであろう。
シューベルトの優しく美しき音楽は、この小児の如き心根に胚胎はいたいしたのである。春のの如く、聴く者の心を和めずにおかないのも、また所以ゆえありと言うべきである。

Woodstockrecordsをもっと見る

購読すると最新の投稿がメールで送信されます。

WordPress.com で次のようなサイトをデザイン
始めてみよう